奥比叡逍遙
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ちょっと雑学
人生の教訓として、また、楽しい夢物語として、語り伝えられてきた比叡山に関する
昔話や伝説は、魅力にとんだおもしろいお話がいっぱい。 比叡山の修行の厳しさは、まさに地獄のよう。
そこから、そう呼ばれるようになった「三大地獄」とは・・・。
比叡山昔話や伝説
比叡山の七不思議など(昔話)
比叡山には魅力あふれるお話が多くありますが、まず比叡山の七不思議についてご紹介します
  • 其の1 掌に乗った大蛇
その昔、横川の谷から坂本や仰木に現れて、人々を襲う大蛇がいた。
そこで、慈恵大師が大蛇に向かって一言、「霊験あらたかな比叡山で人を困らせてはいけない。
もし神通力をもっていたら見せてほしい」。それを聞いた大蛇は、さらに大きくなり横川中堂を
ひとまきに。そこで慈恵大師がもう一言、「たいへん見事だ。では私の掌の中に入ることが
できるか」。大蛇はすぐに一寸足らずの蛇となり、慈恵大師は「悪事を働くのはよくない」と
近くの池へ封じ込めたという。これが、蛇が池の由来です。
  • 其の2 幽霊の鐘
戒律に大変厳しかった慈忍和尚が死んでから、修行に怠ける者を戒めるため、1つの目と1本の足しかない幽霊になって夜な夜な現れたという。掃除、学問、読経、回峯行など比叡山の厳しい修行に怠けると、幽霊が鐘をならして、怠け者をかなしばりにしてしまうというので、若い僧は頑張って修行に励んだという。
  • 其の3 茄子婆さん
比叡山にときどき出現するという茄子婆さんのお話。時は元亀の昔、年は67歳ぐらい、顔色がきれいな紫でどことなく茄子にに似ている茄子婆さんは、叡山で大事件が起こるたびに、誰よりも早く必ず鐘を鳴らしてくれたという。信長が叡山を焼き討ちしたとき、大講堂の前で鐘をついたのも茄子婆さんという。
  • 其の4 一文字タヌキ
西塔の法華堂と常行堂で修行する彫刻の上手な僧が一体のタヌキを彫ったなら、そのタヌキがある夜化物となって現れ、「タヌキを見事に一体だけ作っても意味がないから、千体作ったらどうか」と言ってドロン。そこで修行僧は厳しい千日回峯行を満行するため、毎日タヌキに励まされながら、一日一体のタヌキを彫ることに。そのおかげか、千日回峯行を無事終える。その後、修行僧は立派な高僧となったが、彼の彫ったタヌキの眉がどれも一文字だったので、一文字タヌキの伝説となった。
  • 其の5 六道おどり
奥比叡の横川に観音堂があった。このお堂は秀吉が愛した淀君が建立したという。
あるとき、このお堂で盛大な法要を行うと、六道を迷う亡者たちがうかれでてきて
踊りをはじめた。お堂のまわりは亡者で大賑わいだったという。
  • 其の6 靄船
坂本から比叡山へ登る表坂は、お盆になると船で坂を登る亡者でいっぱいになるという。
特有の靄がたちこめる中、額に三角巾をまき、白い経かたびらを着た亡者が
船で比叡山を登るのを見た小僧たちは腰をぬかしてしまったという。
  • 其の7 美人の水ごり
根本中堂から坂を下ると五智院跡がある。この五智院に女性の位牌があった。この位牌が毎日夜になると、カタコトと音をたてて動きだすので、小僧があとをつけると、谷川のせせらぎが聞こえるところへ行き、水に入った。よく見ると、そこに美人が水ごりをしている姿を見た。じっと美人の顔を見ると、位牌の女性の生前の顔とそっくりであった。水ごりは五智院住職の修行の成就を祈るためであったという。
  • 経よむドクロ
伝教大師が比叡山に草庵を建てて止観の月を眺めていると、どこからか読経の声が。法華経を読んでいるその声は草庵の近くの塚からであった。そこに、法華三昧院を建てようと、地ならしをすると、血のしたたる頭蓋骨(ドクロ)が見つかった。そのドクロが読経の声の主であったという。
  • 角大師
昔から魔除けの護符として、民衆に信仰されている角大師・豆大師の像。叡山中興の祖として崇められ、良源とも云われた慈恵大師は、その美しさから、若い女に迷わされる。そこで良源は、鬼の姿をして拒絶したことから、角大師の姿が鬼の姿になったという。また、あるとき、角大師の護符が疫病神を追っ払ったという噂が広がり、信仰が盛んになったという。
  • そば食い木像
無動寺の大乗院には俗に「そば食いの木像」と称する親鸞作の像にまつわる伝説がある。若い親鸞聖人が慈鎮和尚のもとで修行していたとき、薬師如来の夢告で、京の六角堂へ百夜の参詣を続けた。同僚の山僧が、親鸞は京の女性のところへ通っていると噂をたてた。ある夜、京へ親鸞がおりたあと、急に“そば”の振る舞いがあった。親鸞はもちろん顔を出せなかったが、親鸞を捜していたら木像が親鸞となって現れ“そば”を食べたというのである。
三大地獄
回峯地獄
伝教大師の菩薩僧養成の理念に基づいて、現在も行われている比叡山を代表する修行・千日回峯行の厳しさを表現した『回峯地獄』。(その千日回峯行の形態は、
  • (1)第一年目から第三年目(第一百日〜第三百日)
比叡山上の三塔全域と山下坂本の日吉神社などを毎年100日ずつ行道礼拝する。礼拝の箇所はおよそ300、距離にして毎日七里半(約30キロ)の行程。
  • (2)第四年目(第四百日〜第五百日)
200日間を上記(1)と同じコースで行うが、第五百五十日に白帯袈裟を授与され、第五百日を満行すれば「白帯行者」と称されて御杖が許される。
  • (3)第五年目(第六百日〜第七百日)
200日を履修し、第七百日を満じた後は、九日間断食・断水・断眠・不臥して念誦修法に専念する「堂入り」が行われる。回峯行中最大の難関とされ、1週間を過ぎたあたりから屍臭が漂い瞳孔が開くという。以上、第七百日を満行すると「当行満」といわれ、「阿闍梨(あじゃり)」と称される。
  • (4)第六年目(第八百日)
赤山苦行百日を第一歩に、衆生済度のための化他門の実践として、回峯行が修される。従来のコースに加えて、雲母坂を経て西坂本にある赤山禅院まで、1日約十五里(約60キロ)の行程となる。
  • (5)第七年目(第九百日)
京都の洛中洛外の「大廻り」。1日の行程は、(比叡山無動寺ー東塔ー西塔ー横川ー無動寺ー<雲母坂を経て>ー赤山禅院ー粟田神社(青蓮院)ー八坂神社(感神院)ー清水寺ー六波羅密寺ー因幡薬師ー五条天神ー神泉苑ー北野天満宮(北野宮寺)ー上御霊神社(上出雲寺)ー下鴨神社ー河合神社ー清浄華院 であり、1日なんと二十一里(約84キロ)にも及ぶ。(第千日も七年目に行われる。これは、「大廻り」の満行後、通常七里半の山上山下の行程75日をもって、満行とすることが古例である。(ちなみに、一千日で踏破する距離は約38000キロ、地球一周にもなるという、常人では想像できない、まさに死の大行である。
掃除地獄
浄土院の十二年籠山行のこと。伝教大師の祖廟として比叡山でも第一の聖域である浄土院を、定められた修法の合間に落葉一枚もとどめず、草一本も生えないように徹底した掃除を行うことを日課とする。
看勤地獄
横川の元三大師堂で行われている慈恵大師片供、如意輪供など七座の修法、さらに慈恵大師講式や法華三十講四条論義および法華十講などの論義の輪修を毎日欠かさずに続けなければならないこと。
おみくじの元祖
  • ■おふだ
横川の元三大師堂で授けられるお符で、古来魔除けのお符として
民家に貼られている。 慈恵大師の像で豆大師と角大師の二種の像
形がある。(豆大師は元来大師が美男子であり、宮廷に出入りする
うち、多くの女官達からもてはやされるようになったので、身の魔道に
陥らんことを恐れた彼は、みずから豆つぶ程の小さい鬼畜に変じてみせ、
彼女達を遠ざけたという。(角大師は疫神に苦しめられた多くの人々のた
めに、大師がその病難をはらうべく誓願をたて、みずから病魔を退散させ
るための形相を現し、これを絵にして護符にさせたものである。(今はストー
カー対策などで女性(男性も)がお守りがわりに買って持つようになり、
人気がでている。
  • ■おみくじ
恋愛、仕事上、人生の岐路で悩む人もたくさんおとずれ、観音経をおとなえして、悩む人におみくじを授けます。少々時間はかかりますが、よくあたるので生半可な気持ちでお願いしてはいけません。